生活

「鎌倉殿の13人」ロケ地どこ?ゆかりの地3ヶ所を紹介!

「鎌倉殿の13人」ロケ地どこ? ゆかりの地3ヶ所を紹介!
Pocket

2022年1月9日、NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が開始されました。

源頼朝の流された伊豆から、この物語は始まリます。

この物語「鎌倉殿の13人」のロケ地、ゆかりの地はどこでしょうか?

鎌倉殿…源頼朝…なせ今鎌倉幕府の話なの?と思った人も、たくさんいるのではないでしょうか。

これは”成功者の物語”だと、脚本家の三谷幸喜さんは言っています。

平安時代の末期、平治の乱に敗れ伊豆に流された14歳の少年が、平氏を滅ぼし征夷大将軍となります。

そして、鎌倉幕府という初めての武士による政治を行うなど、誰が想像したことでしょう。

源頼朝は34歳で挙兵し46歳で鎌倉幕府を開きました。

しかし、そのわずか7年後53歳で亡くなってしまいます。

それでも、鎌倉幕府は約150年続きました。

それは、鎌倉幕府を作り上げたのが源頼朝一人の力だけではなく、支えていた13人の家臣たちがいたからだったのです。

源頼朝の死後、13人で鎌倉幕府を支えながら、内部闘争を繰り広げました。

そして、その中から頭角を現したのが、一番若かった北条泰時だったのです。

北条泰時は第二代執権として、武士の世の盤石の基礎を築き、鎌倉幕府を引っ張る最高権力者となっていきました。

「鎌倉幕府」は源頼朝、そして北条泰時、二人の「成功者のストーリー」でもあるのです。

それは、北京オリンピックで平野歩夢選手が、金メダルを目指し命がけで三回目の滑走に挑んだように、源頼朝も北条泰時も、命をかけて人生の大逆転に挑んだのです。

そして、源頼朝の死後、鎌倉幕府は一人の将軍ではなく13人のチームで戦う、言わば「鬼滅隊」でもありました。

そんな「鎌倉殿の13人」のロケ地、ゆかりの地はどんなところでしょうか?

 

「鎌倉殿の13人」のロケ地はどこ?

「鎌倉殿の13人」は新型コロナウイルス感染症第4波といわれている、2021年6月上旬にクランクインしました。

新型コロナウイルス感染症対策をとりながら、ロケ初日は7月に「金冠山」で行われたということです。

ロケ地に選ばれた「金冠山」とは、どんな山なのでしょうか?

 

沼津市と伊豆市にまたがる絶景スポット「金冠山」

金冠山は沼津市と伊豆市にまたがる標高816mの山です。

火山活動で形成された達磨火山が、大きく浸食されてできた峰の一つと言われています。

登山道はいくつかありますが、「達磨山高原レストハウス」から登頂するコースが一番人気と言われています。

登山道が整備された緩やかな尾根をつたって歩くコースは、初心者でも安心してハイキングが楽しめるコースになっているからでしょう。

山頂への最短コースは、戸田峠駐車場から登るルートで、距離にすると約700m、標高差約80mです。

登山を楽しむというより、とにかく早く絶景を楽しみたい方にオススメで、約15分で登頂することも可能です。

金冠山山頂からは東に内浦湾、西に戸田、南には南アルプス・沼津アルプスの山々が、そして北には駿河湾越しに雄大な富士山…の絶景が広がります。

伊豆有数の絶景スポットの一つとして、「伊豆半島ジオパーク」にも指定されました。

 

映画「ちはやふるー上の句ー」でもロケ地となった金冠山!

2016年3月19日、映画「ちはやふるー上の句ー」が公開されました。

競技かるたに打ち込む高校生たちの青春を描いた映画ですが、そのかるた部5人が合宿で登った山が「金冠山」でした。

この映画の主演は広瀬すずさん。

もちろん広瀬すずさんにとって、初めての主演でした。

そして、同じかるた部の部員として、野村周平さん、上白石萌音さん、また新田真剣佑さん、松岡茉優さん…今大活躍の俳優さんたちが出演しています。

この映画、そして、この「金冠山」のロケから大飛躍を遂げたのでしょう。

 

カトリック系の私立のミッションスクールでも撮影が!

伊東祐親が頼朝と八重姫の仲に激怒し、頼朝を殺害しようと北条時政の館に現れます。

頼朝は機転を利かせ姫に姿を変えて、北条泰時と馬に同乗して逃げます。

そのシーンが撮影されたのは、静岡県裾野市にある「不二聖心女子学院」(中学校・高等学校)でした。

「不二聖心女子学院」(中学校・高等学校)は、カトリック系の私立のミッションスクールです。

 

出身者には多くの有名人も!

「不二聖心女子学校」の卒業生には、元フジテレビのアナウンサーの千野志麻さん、モデルの星あやさん、2002年日本ミスグランプリを受賞しタレントの河村久美さん、前衆議院議員の佐藤ゆかりさん、女優の藤真利子さんなどがいます。

実は、多くの有名人を輩出している名門校なのです。

 

「鎌倉殿の13人」のゆかりの地は?

鎌倉殿…源頼朝と北条政子はどのようにして結ばれたのでしょうか?

平治の乱に敗死した源氏六代目棟梁、源義朝の息子であった源頼朝は、伊豆韮山の「蛭ヶ小島」に流されました。

14歳から約20年間流人として、伊豆の大自然の中で過ごしたのです。

そして、頼朝は自分の監視役であった伊東祐親の三女八重姫と、子・千鶴丸をもうける仲になってしまいました。

祐親は激怒し千鶴丸を殺害、さらに頼朝の殺害を図ろうとしました。

しかし、頼朝は北条時政の館にかくまわれ、危うくところで命を救われたのです。

そこで、北条時政の娘政子と出会い、頼朝と政子は恋に落ちたました。

二人はお互いに結ばれることを強く望みましたが、政子の父、北条時政は大反対でした。

平家全盛の時に、源氏の流人である源頼朝の前途は絶望的で、源氏との縁組は北条家にとって命取りになると思ったからでした。

そのため時政は、政子と平家の家人で伊豆の目代だった山木兼隆との婚姻を、決めてしまったのです。

結婚の夜、政子は宴席を抜け出し、伊豆へ逃れました。

 

源頼朝と北条政子の恋の舞台「伊豆山神社」

政子は婚礼の宴席を抜け出し、約7里の山路を超えて、頼朝の元へ向かいました。

そのころ頼朝は、伊豆山密厳院(みつごんいん)の阿闍梨覚淵に師事していたのです。

頼朝がその政子と劇的な再開をしたのが、伊豆山神社の「逢初橋」(あいぞめばし)と言われています。

伊豆山神社は、「伊豆」の地名の発祥地であり、創建は第五代天皇・孝昭天皇の時代にさかのぼる歴史ある神社です。

海抜170mほどの地点にあり、境内からは青い相模湾が広がる美しい景色をのぞむことができます。

強運守護のほか、縁結びや恋愛成就の神さまとしても有名です。

 

小泉今日子さんが奉納した鳥居があります!

熱海から伊豆山神社の本殿に行くためには、873段の階段を上らなければなりません。

しかし、車なら階段を上らずに本殿横の駐車場まで行くことができます。

その駐車場の入り口には大きな鳥居が!

そして、その鳥居の裏には「奉納 小泉今日子」の文字が刻んであります。

平成22年4月22日、仕事が順調でなかった時に願掛けで奉納したところ、「あまちゃん」などの仕事が決まり、そしてCM出演も。

鳥居を奉納した小泉今日子さんを、伊豆山神社の強運守護の力が、応援してくれたのでしょう。

 

鎌倉殿の旗揚げ神社である「三嶋大社」

三嶋大社は地方の神社ですが、全国の神社初詣参拝者数ランキングが22位で、伊勢神宮の次、24位の出雲大社よりも参拝者が多い神社なのです。

頼朝は平治の乱で、父義朝や兄たちを殺されたことも影響し信仰心が厚く、般若心経を写経して各地の神社や仏閣に奉納しました。

特に伊豆国一ノ宮である三嶋大社を大切にし、源氏再興のために百日祈願に通ったと言われています。

1180年に挙兵した時も、三嶋大社の祭礼日であった8月17日に合わせて韮山で旗揚げし、源氏再興を果たしたのです。

そして、この後平氏を滅ぼし、鎌倉幕府を開くことに成功しました。

そのため、頼朝は三嶋大社にたいへん感謝し、所領を寄進、社域を広げ神池を整備し、下田街道を三嶋大社から南へ真っ直ぐに整備しました。

そのおかげで、三嶋大社の門前は大きな市(いち)がたち、この後も長く繫栄することになったのです。

 

西武ライオンズの松坂大輔投手が挙式したのも三嶋大社でした!

2004年12月4日、当時西武ライオンズに所属していた松坂大輔投手は、三嶋大社で結婚式を挙げました。

三島には西武が経営している私鉄伊豆箱根鉄道があります。

そして、近くには旧三菱財閥の創始者岩崎弥太郎氏の長男で、山崎久彌氏の別邸がありました。

その時はすでに西武の所有する旅館「三養荘」となっていて、松坂大輔投手の披露宴は大広間「雄峰」で行われたということです。

その後、松坂大輔投手は、2006年12月にボストンレッドソックスと契約し渡米しました。

そして、ボストンレッドソックスでも大活躍。

幼い頃からの夢だった、メジャーリーグでの活躍…を実現するのです。

三嶋大社での挙式によって、強運守護・願望成就の強い力が、松坂大輔投手を強く後押ししてくれたのでしょう。

 

運開きで有名な三社参りできる「箱根神社」

頼朝は三嶋大社の祭礼日に合わせ、祭りの中を堂々と伊豆の目代山木兼隆を襲い、討ち果たすと反平家への旗を挙げました。

最初の一戦に勝った頼朝は三浦軍と合流するため小田原に向かいます。

しかし、三浦軍は現れず小田原近くの石橋山に陣をはりました。

そこで早くも平家に襲われ、頼朝軍も奮闘しますが、平家方の数が多く北条時政たちと共に箱根に逃れます。

この時、頼朝が逃げ込み、かくまわれたところが箱根神社の箱根権現でした。

箱根神社は、奈良時代の天平宝字元年(757)建立といわれ、関東総鎮守箱根大権現と尊崇(そんすう)されてきた名社です。

頼朝の旗揚げは、あっという間に石橋山でつぶされたのですが、平家のすきを見て箱根神社から舟で房総半島(今の千葉県)へ渡ったことで、源氏再興の夢は続いていきました。

 

有吉弘行さんも箱根神社で運開き!

箱根神社は、数多くの芸能人が参拝していることでも有名です。

有吉弘行さんもその一人でした。

猿岩石というお笑いコンビで、「進め!電波少年」でユーラシア大陸をヒッチハイクで横断し、ロンドンを目指す旅行を完走しました。

そして、出した「白い雲のように」がミリオンセラーとなり、一躍トップスターの仲間入りをしました。

しかし、その後人気は下降しコンビは解散となり、長い低迷期が続きました。

箱根神社には、願い事を叶えるための特別な儀式があります。

願い串と呼ばれるものに願い事を書き、それを実現するために、自らの誓いを起請文(誓約文)として紙に書いて、それを串にしっかり巻き付けます。

そして、その願い串を「誓願所」に納めることで、誓願成就を祈願するという儀式です。

箱根神社は、九頭龍神社・箱根本宮と三社参りすることで、さらに大きなご加護、ご利益があると言われています。

有吉弘行さんは、先行きが全く見えない長い低迷期に箱根神社に来て、起請文に願い事…芸能界での再興を書き、何度も何度も自分に誓いを立てたことでしょう。

そして、箱根神社のご加護、ご利益を得て再ブレークを果たし成功したのでしょう。

 

「鎌倉殿の13人」ロケ地どこ?ゆかりの地3ヶ所を紹介!:まとめ

「鎌倉殿の13人」のロケ地、ゆかりの地として、絶景スポットと歴史ある神社を3ヶ所を紹介しました。

源頼朝は何度も死にかけます。

最初は14歳のとき、伊豆に流されたときも、旗揚げしてからも。

しかし、その度に何とか逃げ出し命拾いし、その次の行動へと繋いでいったのです。

なぜ、そのような奇跡が続いていったのでしょうか?

頼朝には「源氏再興」という強い志がありました。

だから、がむしゃらに頑張ったのです。

人はがむしゃらに頑張る姿に共感し、応援したくなるものです。

だからこそ、頼朝を支え押し挙げてくれる強い味方ができたのです。

みんなの応援が、やがては神様さえも味方にしてしまう、そんな奇跡に変わったのでしょう。

まずは自分の可能性を信じて、がむしゃらに頑張ってみることから始めてみませんか?

成功のカギは、もうすでに自分の手の中にあるのかもしれません。

さらに運気を高めたい人は、「鎌倉殿と13人」のロケ地、ゆかりの地で上昇気流に乗ってみてはいかがでしょうか?