2022年9月8日、イギリスのエリザベス女王が亡くなりました。
96歳でした。
エリザベス女王が即位したのは、25歳のとき。
1952年2月6日、父の国王ジョージ6世が急死したこと受け、父の名代で訪問していたケニアで「エリザベス女王」は誕生したのです。
今年6月には在位70年を記念する祝賀行事「プラチナ・ジュビリー」が行われ、英歴代君主として最長となったばかりでした。
エリザベス女王、正確にはエリザベス2世は、英国ばかりではなく世界中に愛された女王でもありました。
エリザベス2世は、イギリスの他14か国の英連邦王国及び王室属領・海外領土の君主であり、イングランド国教会の首長でもあったからです。
女王陛下ともう一人、英国には世界で一番有名なスパイ「007」映画があります。
「007」とは、英国情報局情報部(M16)に所属する諜報部員のコードネーム。
英国の安全を守るために、殺しのライセンスさえも与えられています。
コードネームは001~009まであり、中でも007はエリートだけが名乗ることができる番号なのです。
007は、英国のため、女王陛下のために命を賭けて戦う諜報部員、いわゆる英国の公僕。
女王陛下と007にはどんな関係があるのでしょうか?
英国、特に大英帝国の時代、騎士(ナイト)は、王室より直々に叙任される栄誉称号でした。
007は大英帝国を守るため、女王陛下を守るために命を賭けて戦う騎士であり、そのために「殺しのライセンス」を与えられているのです。
女王陛下と「007」映画。
二人の関係を、3つのストーリーで紹介します。
映画「On Her Majesty’s Secret Service」邦題「女王陛下の007」
1926年4月21日、イギリスの国王ジョージ5世の次男、後のジョージ6世の長女としてエリザベス・アレキサンドラ・メアリーが誕生しました。
36年にジョージ5世が死去すると、長男エドワード8世が即位しました。
しかし、彼は既婚の米国女性との「王冠を懸けた恋」に!
そのため、わずか1年もたたずに退位してしまったのです。
そして、ジョージ6世が国王に。
エリザベスが女王になったのは、女王という運命が微笑んだのかもしれません。
「女王」になる運命が微笑んだ!
ジョージ6世は体が弱く、52年2月6日、56歳で死去。
在位期間は1936年12月11日から1952年2月6日、約15年2か月でした。
父の名代としてエリザベスはケニアを歴訪していていました。
ケニアの地で「エリザベス女王」は誕生したのです。
「007」は作者自身がモデル!
一方、「007」ジェイムズ・ボンドは1953年に、イアン・フレミングが英国秘密情報部のエージェント…スパイを主人公とした小説で誕生しました。
作者であるイアン・フレミングは、実は陸軍士官学校を卒業し1939年から英海軍情報部に勤務していました。
第二次世界大戦は諜報員として活躍し「ゴールデンアイ作戦」などの指揮を執り、1945年終戦後退役したのです。
ですから、「007」ジェームズ・ボンドは、原作者であるイアン・フレミングがモデルであったかもしれません。
イアン・フレミング自身も、英国のため、女王陛下のために諜報部員として命を賭けて戦っていたのです。
「007」映画「On Her Majesty’s secret service」
007映画の6作目に「On Her Majesty’s Secret Service」、邦題では「女王陛下の007」があります。
タイトルからすると「女王陛下の秘密の任務に従事している」、となります。
ボンドが自室に戻ったときにエリザベス2世の肖像画に向かって、ウイスキーのスキットル(小型水筒)を掲げて「Sorry ma’am(失礼、女王)」とつぶやくシーンがあるのです。
実は007が女王陛下と対面したのは、この時が初めてでした、とは言っても女王陛下の肖像画ですが…。
映画のあらすじは、国際的犯罪組織が世界各国で細菌をばらまき人類抹殺計画を企てている事を知り、その計画を阻止するために奔走するのです。
この映画の中で、007は最初で最後の結婚をします。
式を挙げ、ハネムーンに行く途中、車に飾られた花を取り除こうと車を止めたところを銃撃され、花嫁は亡くなりました。
007はこの出来事をどのように受け止めたのでしょうか?
このままスパイを続けていたら、愛する人を守ることができない…と感じたなら、スパイを辞めて、愛する人と人生を歩むこともできたのです。
しかし、007はスパイを続けていくことを選びました。
愛する人よりも、女王陛下に仕える道を選んだのです。
二人の関係を全世界にアピール「ロンドンオリンピック開会式」!
2012年7月27日、ロンドンオリンピックの開会式を、覚えているでしょうか?
女王陛下と「007」が共演したのです。
開会式で、イギリスの国王であるエリザベス女王が、イギリスを代表する映画「007」のジェームズ・ボンドと共に空から会場に登場したことを。
エリザベス女王の共演の条件は?
開会式に女王陛下が「007」と登場するという案は、有名監督でありロンドンオリンピックの芸術監督を務めたダニー・ボイルが提示しました。
エリザベス女王はすぐに快諾しました。
しかし、その共演の条件に、なんとセリフを要求したのです。
「わたしは何かを言わなければならないでしょう。だってジェームズ・ボンドは私を救いに来るのですから…」
女王陛下は知っていたのです。
何時でも、どこでもジェイムズ・ボンドが女王陛下を、守っていることを。
エリザベス女王の専属デザイナーであるアンジェラ・ケリーは自身の著書「The Other Side of the Coin: The Queen, the Dresser and the Wardrobe(原題)」の中で、書いています。
エリザベス女王にセリフは「こんばんは、ジェームズ」「こんばんは、ミスター・ボンド」のどちらが良いかと質問しました。
すると、エリザベス女王は“ミスター・ボンド”を選び、女王陛下の言葉は決まったのです。
「007」も思わず微笑んだ!
そして、一方の「007」は…。
女王陛下に「…ミスター・ボンド」と挨拶され、ジェイムズ・ボンドの口元がわずかに緩んだのに、気が付きましたか?
1952年に「エリザベス女王」が即位し、53年にジェイムズ・ボンドが登場してから、約60年の歳月を経て、初めての共演。
それは、長い歳月をかけて築き上げてきた親密で、厚い信頼関係と、尊敬で結ばれた二人。
ロンドンオリンピックの開会式の登場によって、二人は長く築き上げてきた二人の関係を全世界へアピールしたのです。
エリザベス女王と007と英国の「スカイフォール」
ロンドンオリンピックから、わずか3ヶ月後の2012年10月23日、ロンドン市内のロイヤル・アルバートホールで、007シリーズ23作目となる映画「スカイフォール」のワールドプレミアが開催されました。
この年は007にとっても、シリーズ生誕50周年の節目の年でもありました。
実は前作「カジノロワイヤル」のワールドプレミアでは、エリザベス女王がご臨席されたのです。
「慰めの報酬」では、ウイリアム王子とヘンリー王子がご臨席され、「スカイフォール」ではチャールズ皇太子とカミラ夫人がご臨席された、ロイヤルワールドプレミアとなりました。
会場には、「ゴールドフィンガー」で初めてボンドカーとして登場した、アストンマーチンDB5が置かれるなど、007映画の歴史も感じられました。
アストンマーチンは007がもっとも愛している車で、その理由は最速さと可憐さといわれています。
007にとって車は、まるで愛する女性のような存在なのかもしれません。
007映画に登場するボンドカーは、アストンマーチン、ロールスロイス、ベントレー、ジャガー、ランドローバーなど、イギリスを代表する車です。
ボンドカーは、防弾ガラスや機関銃、ミサイルをも搭載したり、潜水艦に変身したり、英国の最新のテクノロジーの集結とも言えます。
それは、007のアタッシュケース、ボールペン一つに至るまで。
そして最高のロイヤルワールドプレミアの最後には、最高のアストンマーチンが紹介されるという、プレミアが付いていました。
また、007のファッションはニットやシャツ、グローブに至るまでこだわりのある英国紳士の正統でした。
正統を押さえながらも時代に合わせてアレンジさせていく、本物を極めながらも自分流にスマートに、そしてセクシーに。
そして、世界中の美女をとりこにしてしまうのです。
「007」の素性とバックグラウンドが!
007は英国の諜報部員ですが、今までロンドンで撮影されることはありませんでした。
その素性を隠していたのかもしれませんが、映画「スカイフォール」で、その素顔をかいま見ることができました。
2013年に築150年を迎えた、ロンドンの地下鉄メトロポリタンを駆け抜け、もう使われていない鉄道トンネルで、体力テストや心理検査で能力を試されたり。
007が忠誠を尽くす、M16本部ビルや新M16(エネルギー・気候変動省)ビルや、旧王立海軍大学。
武器係であるQと待ち合わせた、ロンドンの国立美術館であるナショナル・ギャラリー。
そして、英国の政治的中心でもあるウエストミンスターへ。
英国の政治的中心でもあるウエストミンスター!
現在、英国議会が議事堂として使用しているウエストミンスター宮殿は、かっては国王の住居でした。
そのため宮殿の近くに、公共施設の多くが建設されているのです。
ウエストミンスター寺院もその一つです。
ウエストミンスター寺院は、ウイリアム王子とキャサリン妃が結婚式を挙げたことで、注目を集めました。
ウエストミンスターは英国の政治が討論や議論を交わしてきた場所でもあり、英国の歴史、文化の凝縮された場所でもあるのです。
英国は歴史と芸術の、そして最先端のテクノロジーの国であるということを、ここぞとばかりに見せつけるように、「007」映画「スカイフォール」は撮影されたのでしょう。
エリザベス女王が英国のシンボルであるならば、「007」映画も、やはり英国のシンボルなのです。
女王陛下と「007」映画の関係は?3つのストーリーを紹介!:まとめ
エリザベス女王と「007」映画の関係は?
エリザベス女王が即位したのは、1952年
007がイアン・フレミングのスパイ小説で誕生したのは1953年。
そして映画は、1962年に第1作「007ドクター・ノオ」が公開されました。
これほど長く続いたのには、理由があります。
それは、エリザベス女王も、「007」映画も世界中の人々に愛されていたからです。
それはまた、エリザベス女王も「007」映画も世界中の平和を願っていたからなのだと思います。
エリザベス女王は21歳の誕生日には、次のように述べています。
「私の人生が長くても短くても、生涯、公務に我が身をささげることを皆さんの前で誓います」と、国民のために尽くすことを宣言しているのです。
1965年にはイギリスでもドイツへの嫌悪感の強かった時期に、かっての敵国との和解に自ら媒介役となって、ドイツを訪問しました。
差別の撲滅や民主主義の普及にも貢献をしました。
南アフリカのアパルトヘイト(人種隔離)の政策の撤廃では、エリザベス女王の水面下の貢献があったと言われています。
エリザベス女王がお亡くなりになっても、その功績も、平和を願うお心も決してなくなりことはありません。
世界の平和を誰もが願っているのに、世界の平和はいつも脅威にさらされ、争いは絶えません。
だからこそ私たちは007のように、たった一人でも毅然と悪に立ち向かい、命を賭けて平和を守ってくれる007を必要としているのかもしれません。
エリザベス女王と007とその映画の関係を3つのストーリーとともに、紹介しました。
エリザベス女王がお亡くなりになり、007も女王陛下を守る騎士ではなくなってしまうのかもしれません。
しかし、世界の平和が脅威にさらされるとき、「007」映画のように、寸前のところで007が現れ敵を倒してくれるように。
誰もが、世界の平和が守られ、続いていくことを願っているのではないでしょうか。