2024年8月7日、夏の甲子園大会が始まりました。
今年で全国高等学校野球選手権大会は第106回、8月7日から阪神甲子園球場で開催されました。
今年の出場校は49校。
私立高校が37校と約8割を占め、公立高校は12校。
私立高校は学費免除などのメリットと引き換えに、全国から有望な選手を集めることができます。
一方、公立高校は通える地域が決まっていて断然不利と言われる中、昨年よりも3校増えて12校と大健闘しているのです。
私立高校優位と言われている中で、地方大会を勝ち抜き、甲子園出場権を勝ち取った公立高校とは、どのような学校なのでしょうか?
また、3回戦最後の試合となった第4試合で島根県代表の公立高校である大社高校が、早稲田実業高校を延長11回タイブレークでサヨナラ勝ちをするなど、大社旋風を巻き起こしました。
私立高校のように決して有望な選手が集まっているわけでもなく、練習環境や練習時間に恵まれているわけでもないのに、その強さはどこからきているのでしょうか?
2024年甲子園出場校の公立高校で、その中でも偏差値の高い3校を紹介します。
2024年甲子園出場校の公立高校で偏差値の高い学校とは?
2024年甲子園出場校の公立高校は、金足農(秋田)、石橋(栃木)、富山商(富山)、掛川西(静岡)、岐阜城北(岐阜)、菰野(三重)、大社(島根)、南陽工(山口)、鳴門渦潮(徳島)、有田工(佐賀)熊本工(熊本)、宮崎商(宮崎)で、昨年よりも3校多い12校です。
6年前の2018年第100回大会では、秋田県代表の秋田県立金足農業高校が数々の劇的な試合試合展開で決勝まで勝ち上がり、「金農旋風」と呼ばれました。
それは、金足農業高校が「公立高校」であったこと。
対戦校が、「甲子園常連校」として全国的にも有名で実績を持つ「私立高校」であったこともその要因でしょう。
そして、金足農業高校の体を反らして全力で校歌を歌う姿も話題となりました。
これは「やるなら何でも全力でやろう」という伝統の一つでした。
今年も島根県代表の大社高校が、3回戦最後の試合となった第4試合で早稲田実業高校を延長11回タイブレークを制しサヨナラ勝ちをするなど、「大社旋風」を巻き起こしました。
選手、時間、環境…様々な制約がある中で勝ち進んでいくためには、他とは違った方法、工夫があるはずです。
その方法、工夫、など過程での努力だけだはなく、しっかり「甲子園出場」という成果を出す。
そのために、どのようなことをしているのでしょうか?
そして、その学校の偏差値は?
2024年甲子園出場校の公立高校で、偏差値の高い学校は次の3校です。
第3位:大社高校(島根)
大社高校は島根県の代表校です。
1898年に創設され、出雲大社の地で創立120周年を超える歴史と伝統を誇る学校でした。
島根県に唯一体育科を有する学校で、普通科約600名、体育科約100名で合わせて約700名。
2024年偏差値一覧では、体育科が41、普通科が54となっています。
野球部は1年生25人、2年生18人、3年生21人の64人。
野球部は第1回目の野球選手権大会から出場し、甲子園も32年ぶり9回目の出場を果たした伝統校でもあります。
32年ぶりの甲子園出場というと、伝統校ではありましたが甲子園とは長く縁がなかった証拠でもあります。
目標:文武両道・学校スローガン:「夢 努力 感動」
「文武両道」のもとに、学校スローガンは「夢 努力 感動」3つの言葉
「夢を持てる学校」「夢を叶える学校」「夢を広げる学校」など
「夢」も色々ありますが、その「夢」を持ち、夢を叶えた人が石飛文太監督です。
夢を叶えた:石飛文太監督
大社高校が前回甲子園に出場した時、石飛監督小学5年生でした。
地元のスポーツ少年団の先輩がレギュラーとして甲子園に出ているのを見て、自分も甲子園に行くと、大社高校に進学しました。
大社高校に入学し野球部背番号4…しかし、甲子園の夢は叶いませんでした。
それならば、指導者になって…と他校のコーチでキャリアを積んだりしながら、大社高校の部長を経て監督就任5年目で、甲子園出場の夢を掴んだのです。
大社高校野球部は、監督も選手たちも「夢をつかむ」「夢を叶える」場所だったのです。
石飛監督の「原点に返る」方針…それは、選手たちとの対話。
練習メニューも、試合後のミスを確認して選手の意見をくみ取りながら決めていく。
その対話が、早稲田実業高校との延長11回、あの「神バント」につながったのです。
バントをした安松選手は島根大会6試合は出場なし。
そして、初打席が延長11回のこの場面でした。
「バントを決められる自信がある者…」の問いかけに安松選手が「サード側に決めてきます」と応えたのです。
大社高校の快進撃は、監督と選手たちの普段からの信頼関係が実を結んだ結果と言えるでしょう。
大社高校の偏差値は普通科が島根県の公立高校の10番目54点、体育科は36番目の41点となっています。
「夢をつかんだ」「夢を叶えた」大社高校は、これからもっと「夢を広げて」いくことでしょう。
卒業生には、竹内まりやさんがいます。
この大社高校で、夢を持ち、夢を叶え、夢を広げてるのでしょう。
第2位:掛川西高校(静岡)
掛川西高校は静岡県の代表校です。
掛川西高校は1877年私塾を設立したことを起源としていますが、1901年(明治34年)6月1日を創立記念日としている、120年以上の歴史と伝統のある高校です。
掛川西高校は市の中心市街地にあり、学校の東側に隣接して掛川城があり、校歌にも掛川城が歌われています。
生徒数は、普通科840名、理数科120名の960名。
野球部は36名、決して多い人数ではありません。
偏差値一覧によると、普通科が62、理数科が66となっています。
校風:文武両道・スローガン:鍛えよう若き日を
校風は、文武両道、スローガンは「鍛えよう若き日を」です。
野球部は甲子園出場9回で、静岡県内では野球の名門校としても有名です。
また、全国高等学校総合文化祭全国大会に自然科学部、吹奏楽部が出場するなど、文化部も頑張っていて、まさに文武両道の学校です。
しかし、夏の甲子園はの6回目の出場ですが、前回の出場から26年ぶりの出場でした。
監督:大石卓哉監督は二度目の甲子園!
掛川西高校が前回夏の甲子園に行ったのは、26年前の1998年。
その時、主将として内野手で甲子園に出場したのが大石卓哉監督でした。
大石卓哉監督自身も子どもの頃、掛川西高校が甲子園で活躍する姿を見て掛川西高校を志望し、野球部に入部しました。
そして高校3年生の時、主将として内野手で県大会を制し甲子園へ。
今度は指導者になって、26年ぶりに甲子園の出場権を勝ち取ったのです。
大石監督が選手時代、中・高の部活動は怒声罵声が当たり前。
相手チームの弱点を見つけ、とにかく勝つことが最優先。
しかし、この指導方法には限界がある。
自分のこの凝り固まった考え方を変えてもっと良い指導をしたいと、自ら指導者として成長するために「Liga Agresiva]に参加したのです。
「Liga」の根底にある理念は「スポーツマンシップ」。
対戦するチームは、敵ではなく相手。
スポーツマンシップとは、相手選手の好プレーを称え、審判、保護者、野球に関わる全ての人を尊重する考え方です。
今までの勝利至上主義…相手チームの弱点を突くことよりも、相手を尊重し、チャレンジして見えた課題を自ら克服していく。
自分自身が学び、選手との信頼関係を築けばチームは強くなる…大石卓哉監督の考え方は変わったのです。
そして、この信頼関係が選手たちの「監督のためにも、甲子園で1勝を!」と強い気持ちに変え、逆転勝ちで「日本航空高校」(山梨県)から勝利を勝ち取ったのです。
選手たちを変えるのではなく、自分が変わる…大石卓哉監督の信念が、掛川西高校を26年ぶりの甲子園出場、60年ぶりの甲子園勝利へと導いたのです。
応援:掛川西高応援団指導部の底力!
掛川西高校の応援団を率いるのが、70年以上の歴史を誇る掛川西高応援団指導部です。
コロナで試合が中止となり、試合は出来るようになっても応援は禁止となり、2022年には応援団指導部は、たった一人になっていました。
一人で毎日2時間の応援のフリを繰り返し応援団指導部を守ったのが、第75代応援団指導部団長の村松さんです。
2023年には、伝統のバンカラを改め女子部員の入部を認めました。
厳しい指導を封印し、20種類の応援の演舞に解説付きの動画を作成し、1年生全員に配布しました。
そして、チアリーダーとのコラボ応援を実現させたのです。
その応援団指導部の地道な努力が、甲子園でのあの大応援を実現させたのです。
甲子園初戦の日、吹奏楽部は県大会出場で参加できないというアクシデントもありましたが、かわりに86人のOBが応援に加わり、1500人もの大応援団が繰り出したのです。
応援団指導部2年生の柴田さんの掛け声から、大応援が始まりました。
「今度は我々が甲子園球場を応援でゆさぶる時だ」
その掛け声に応えるように、掛川西高校のアルプス全員一丸となった応援が始まりました。
甲子園球場全体がゴーと地響きで揺れるような、魂がゆさぶられるような、大応援でした。
そして、その大応援を受けて7回2アウトから、堀口選手がヒットを打ち日本航空高校に逆転勝利を収めたのです。
掛川西高校は、監督、選手の強さはもちろんですが、この応援力が強い味方、後押しだったことは間違いないでしょう。
卒業生には、パラリンピック走り幅跳び銀メダリストの山本篤さん、パラサイクリング金メダリストの杉浦佳子さんがいます。
不屈の精神は、掛川西高校で培ったのかもしれません。
第1位:石橋高校(栃木)
石橋高校は栃木県の代表校です。
大正13年(1924年)4月に開校し、今年2024年で創立100年目を迎えた伝統校です。
生徒数は約720名、男子生徒約400名、野球部は56名です。
偏差値一覧では66となっています。
学校創立100周年で夏の甲子園初出場、そして初勝利をあげました。
校訓:爾の立てるところを深く掘れ!
正式には「~爾の立てるところを深き掘れ、然らばそこに清き泉湧かん~」です。
この言葉はドイツの哲学者ニーチェの「悦ばしき知識」から採られた言葉で、生徒に強く自己啓発を求めているのです。
自分が主体的、かつ積極的に動くことで、自分の中に秘められた資質や能力を十分発揮できるようになることを目指しているのです。
監督:福田博之監督は「育成功労賞」を受賞!
高校野球の選手育成に貢献した指導者を、日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」に、栃木県では石橋高校の福田博之監督が選ばれたのです。
「育成功労賞」とは、20年以上にわたって高校野球の育成と発展に貢献した指導者に対して、日本高等学校野球連盟と朝日新聞社から贈られる賞なのです。
毎年夏の甲子園大会の8月15日の第2試合開始直前に授賞式があります。
福田博之監督は甲子園での授賞式に臨み、石橋高校野球部は甲子園出場と、監督と生徒のダブル受賞でした。
石橋高校は県内有数の進学校であるため、毎日7時間の授業、練習は2~3時間。
専用グラウンドも室内練習場も寮もありません。
8年前に赴任した時、「生徒の強みは何か、どうすれば良さを引き出せるか」と考えて導入した取り組みの1つがミーティング。
選出たちだけで自分たちに必要なものは何か、どうしたら練習の質を高められるか、今日の練習の目的は…など、自ら考え実践して振り返るのです。
チームスローガンは「凡事徹底」…平凡なこと、当たり前のことを徹底してやること。
誰にでもできることうを誰にでもできないくらい徹底してやった、地道な努力の積み重ねが、甲子園出場とい夢を掴ませたのです。
石橋高校は2023年に「文武両道」を評価され、21世紀枠で甲子園選抜出場を果たしました。
しかし、初戦で能代松陽高校(秋田)に0-3の完封負けを喫したのです。
「21世紀枠で選ばれた学校の使命は、次は実力で甲子園に行くこと」を目標に掲げました。
そして、見事にその目標を実力で達成し、甲子園では聖和学園(宮城)に初勝利を挙げたのです。
三回戦で青森山田高校に敗れましたが、ベスト16という快挙でした。
教育方針:「主体的」
石橋高校の教育方針は「主体性」を重要視していることが分かります。
重点目標には、自律的生活態度の育成として、
- 基本的生活習慣の確立
- 挨拶の督励
- 清掃活動の充実
が掲げられています。
「基本的生活習慣」…朝起こされなくても自分で起きる、自分から挨拶をする、清掃作業をする…というような当たり前のことは、じつはとても難しいというよりもおろそかにしがちです。
特に「勉強ができるから…」「スポーツができるから…」と優遇したり、甘やかされたりしますが、「挨拶」や「清掃」のような当たり前のことほど評価されないのです。
「21世紀枠」で甲子園に出場できると思っていた時、落選という結果に福田博之監督が重い気持ちで登校すると、選手たちがいつも通り日課のゴミ拾いをしていた。
選手も悔しいはずなのに、いつも通りモクモクとゴミを拾っている、その必死に前を向いている姿に自分を恥じ、もっと強くしてやろうと誓ったそうです。
期待通りにいかないこと、思うように結果が結びつかないこと…いろいろありますが、それでもモクモクと当たり前のことを、自主的に行う。
石橋高校の伝統、教育方針、生徒指導…携わる全ての方々の努力が生徒たちに培われているのだと思います。
卒業生には、「全国高校クイズ選手権」で優勝した生徒や、作家でタレントの室井佑月さん、NHKアナウンサーの大沢幸弘さんなどがいます。
2024年甲子園出場校の公立高校で偏差値の高い学校を3校ご紹介!:まとめ
阪神甲子園球場は1924年8月1日に、全国高等学校野球選手権大会の開催を主目的として開設されました。
今年2024年でちょうど100周年、今では甲子園球場は「高校野球の聖地」と呼ばれています。
甲子園出場の公立高校で大社高校がベスト8に進み、「大社旋風」と呼ばれました。
そこには選手のしっかりとした主体性はもちろん、監督の素晴らしい指導力、そしてそれをしっかりと支えてくれる多くの人たちの力があるから、頑張れたのです。
2024年甲子園出場校で公立高校の偏差値が高い学校を3校紹介しました。
甲子園で頑張る高校生たちに、応援に、多くの感動、力、勇気をもらいました。
ここまでの道程に携わった全ての人たちに感謝し、これからのご活躍を応援しています。